【新型コロナ明け】愛なき運動会【場所取り問題】

運動会シーズンだ。

 

新型コロナが「5類」に移行して初めてとあって、先日開かれた我が家の子どもたちが通う学校でも、昨年まではまばらだった祖父母や地域住民の来場が本格的に復活していた。

 

「日常」が戻ってきたことをあらためて実感し、少しだけ「ほっ」とする一方で、はっきり言って、観覧スペースを独占する「老紳士」と「老婦人」が不愉快だった。

 

老紳士と老婦人たちは、トラックと観覧スペースを隔てる白線の際っきわにキャプテンスタッグやらコールマンやらの折りたたみ椅子を置き、座っている。

 

「座っている」と書いたが、本当にずっと座っている。放送席からは「これからは◯年生の競技が始まります。◯年生の保護者が優先的に観覧できるよう、譲り合いをお願いします」と再三再四アナウンスがあるにもかかわらず、まったく動かない。

 

地蔵である。

 

「場所を譲らないということは、すべての児童はあなたがたの孫ということですか? それなら来年からはお年玉をうちの子にもくださいね」と言いたいぐらいだ。

 

その老紳士と老婦人にペットボトルを差し出したり、プログラムの内容を説明したりする息子や娘(つまり、運動会の主役たる児童の親)がPTA役員であることを示す腕章なりTシャツなりを着ているケースもあるから、最悪である。

 

老紳士と老婦人と、場合によってはその息子や娘たちを含む一団が、観覧スペースを譲り合う意識がないため、譲り合いを心掛けている我が家含むグループは撮影に支障をきたすのだから、さらに最悪である。最悪の二乗だ。

 

さらに、例えば徒競走では、トラックの楕円部分を疾走する我が子をたいまいはたいて買ったビデオカメラでパンしながら撮影しているまさにその時に、老紳士と老婦人が「ヨイショ」と立ち上がろうもんなら、これで最悪の三乗だ。

 

つまり、惨状である。

 

「ほらみろ、やっぱり、おめえの孫は走ってねえじゃねえか。だったら譲ってくれよ」である。

 

帰宅後、撮影内容をチェックすると、立ち上がる老紳士や老婦人の「ヨイショ」の音声がばっちり記録されていた。

 

驚きはない。なぜなら、現場でこの目とこの耳でしっかり確認したから。

 

そんな映像になっていることは、「全部まるっとお見通しだっ!」である。

 

映像に見切れていた老紳士と老婦人には「そこに愛はあるのかい?」と言いたいところが、現実には、老紳士と老婦人たちにスプーン1杯の「愛」があれば起きなかったことなので、「そんなこと言ったってしょうがないじゃないか」と深くため息をつき、来年の運動会に向けて対策を考えているところである。