美人行員にも惑わされず投資信託を断った夫の15年越しの嘆き

「あの時、投資信託を始めていたら、僕は億万長者になっていたのかねえ」

 

最近、夫が事あるごとに思い出したようにぼやいている。

 

「あの時」というのは15年ほど前、独身時代のことらしい。

 

メインバンクの地銀で投資信託を薦められたが、断ったことが頭に引っかかっているのだという。

 

「結婚前は仕事人間だったからさあ。海外旅行に行くほどの休みはないし、ブランド品にも興味はないし、車も気に入ったものを長く乗るタイプだし、お金がそこそこたまったもんだよ」

 

夫の預金に目を付けたのが地銀の女性行員だった。

 

 

「『夫様は普通預金からすぐに使う予定がないのでしたら、投資信託をされてみてはいかがでしょうか』ってね。そりゃあ定期に預けていても金利がアレだから意味がないぐらいは知っていたけど、当時は金融知識がゼロで『投資信託? はあ?』って感じで、話を真面目に聞く熱意がなかったんだよ」

 

しかし、夫の興味を刺激する要素があった。

 

それは行員の美貌だという。

 

「瞳がきれいで、八重歯がチャームポイントな女性でねえ。これも何かの縁かと思って聞いてみたのだよ。でもね。近視眼的に『投資をしたらいつ得するのか』という観点しかないから、話なんか入ってこないさ」

 

夫は話を聞くふりをしながら、行員の瞳と八重歯と化粧のノリを観察するばかりだった、と振り返る。

 

そんな夫の無関心をよそに、女性行員は「月1万円からでも」てな具合でたどたどしくも15分ほど説明を続け、最後に投資を始める意向を尋ねたという。

 

「どうも腑に落ちないから、『リスク前提なのは分かりましたけど、本当にもうかるんですかね? 本当にもうかるのなら、みんなやりますよね。ちなみに行員さんはやっているんですか』って聞いてみたのよ」

 

女性行員の答えは「えー、私はやってないんですよ」。満面のスマイル付きだったらしい。

 

「なんじゃそりゃ、でしょ。マクドナルドかってえの。他人様の時間をとって、投資を勧めて、最後に『自分はやってないんだけど』って、ふざけるんじゃあないよ、あたしはやらないよってことで、丁重にお断りしたんだよ」

 

その女性行員は意外と熱心で夫の実家にまで電話し、投資を勧めたが、夫は結局踏み切らなかった。

 

あれから15年。

 

アベノミクスは機能せず、デフレは40年続くのかと思っていたら、急に海外で戦争が勃発し、あらゆる物価が高騰。「デフレを脱出し、いよいよインフレ基調か」というと事態はそれほど単純ではない。物価高騰に見合う賃金上昇は存在せず、円安も深刻で、端的に言えば、日本経済の構造的な脆弱さが露見しただけ。キシダノミクス政府は「新しい資本主義」を宣言し、「分配重視」をうたったかと思ったら、結局は「国民は投資しまくれ」の大号令。数年前の「老後は勝手に2000万円貯めてね」宣言がかわいらしいぐらいだ。

 

夫は言う。

 

「こんなに投資全盛の世が来るなんて思いもしなかったよ。でも、あの時点で投資は盛り上がるところでは盛り上がっていたんだよね。シティだ、ウォール街だ、フランクフルトだ、シンガポールだって言ってたんだから。あの時、八重歯行員を信じて投資を始めてたら、積立額180万円だよ。15年でどれだけ運用益があったんだろうね」

 

にやにやしながら女性行員の容姿を語る夫に口を挟まずじっと聞いていた妻が、ゆっくりと口を開いた。

 

「過ぎたことを言い連ねても意味がないよ。大変な時代がやってきたんだよ。賢く投資しないと、まともな教育も受けさせられないかもしれないし、落ち着いた老後は過ごせないんだよ。一生懸命仕事しても給料たいして変わらないんだから、空き時間に投資の知識を磨かないと」

 

夫は力強くうなづいた。

 

「そのことですよ。定年まで残された時間は長くない。これが本当の『タイム・イズ・マネー』だね」