「女性の身になって考えて」「男性の身になって考えて」と口では言いますが、実際にはできていないことが多いと思います。「相手の身になれていない」ことを自覚できないことが多いから、事態は更に厄介になるでしょう。
今回は、夫が寒空の下、尿意を我慢していたら「初めて女性の身になれた」という話です。
その日、夫は仕事が予定より早く終わり、妻にLINEでこれから帰宅する旨を伝えました。
妻は喜びました。むすめが習い事を終えてバスで帰宅する時間に間に合いそうだったからです。
LINEで数回やり取りをし、夫が迎えに行くことになりました。
夫は大急ぎでバイクを飛ばし、バス停に間に合いました。
しかし、むすめのバスの到着が遅れています。
夫は気を紛らわせるため妻にLINEしました。
「おしっこ漏れそう。立ちションしていい?」
妻の返信は「いいよ」でした。
夫は「まじで?」と返信しました。時刻はまだ午後6時半。近くには恐らく同じ習い事のお迎えと思われる親子連れもいます。
周りに街路樹がありましたが、社会人として許されることではありません。
妻の真意を測りかねるまま、何とか注意を尿意からそらそうと太ももをたたいたり、マイケル・ジャクソンのムーンウォークの真似事をしたりしていると、むすめのバスが到着しました。予定より6~7分ほど遅れたでしょうか。
むすめに事情を話し、大急ぎで自宅まで二人でダッシュ。
トイレに駆け込み、何とか間に合いました。
夫は洗面所で手を洗いながら、妻に真意を尋ねました。
「あの『いいよ』っていう返信はなんだったの?」
「え!冗談に決まっているじゃん!まさかやったの?」
「まさか、やっていないけど」
「本当にするとは思わないでしょ?」
「あくまでも身体的な話だけど、男はその気になったら究極的にはできるから。街路樹もあるから、『限界突破しそうなんだったら、木の陰で隠れてやったらいいじゃん』とアドバイスしてくれているのか、いや、あなたが、そんなこと言うわけないよなって、ちょっと考えちゃったよ」
「あんたねえ。身体的・究極的な話なんだったら、女は究極的にもできないんだよ。街路樹があったところでそこに座れると思う? 田舎の道端で軽トラ停めて、膝を小さく開いて立っているおじいさんを見ることはあるけど、女性でそんなことしている人は見たことないでしょう? 立ちションのしていいかどうかで女が『いいよ』と言ったとしたって、それは完全に冗談なんだよ。そもそも『立ちションしていい?』っていうメッセージ自体、ふざけているとしか思えないよ」
「なるほど。女性には『立ちション』という概念自体がないのか。そもそも『立て』ないものね。『座りション』という言葉もそもそもない。『女性の身になって考える』ってのはこういうことなんだよね」
「ただいま」「おかえり」というやり取りもないまま、夫婦は男女の性差について意見を交わした。
家族で夕食の準備をしながら、夫が一言付け加えた。
「それにしてもやらなくてもよかったよ。バス停で一緒に待っていた親子連れはむすめのクラスメメイトらしいからね。仮にやってたら転校しないといけないところだったよ」