ある休日。
普段は家族みんなで買い物に行くのだが、その日は、夫以外の全員が体調不良。
夫が独りで行ったスーパーで、目はよく見えないらしいのに考えはやたらとはっきりとしている老婆に出会った。
出会ったのは肉売り場。
夫のお目当ては、牛豚合いびきのひき肉。量は150グラム。
売り場にぎっしり敷き詰められたパックを一つ一つ吟味していると、隣から声が聞こえた。
「わたしは90歳なんですが、目が見えんのですよ。娘からひき肉を400グラム買っておいてと頼まれたんやが、これは何グラムですかいねえ。おにいさん、見てくれんですか」
小柄な老婆が腰を折り、身をかがめ、パックのラベルを読み取ろうとしていた。
夫は「周りに店員はいないのか」と思いつつ、「その距離でラベルが読めないのだったら、もやがかかって周りも見えないのかもしれない」と考え直し、老婆のパックを凝視した。
「それは350グラム。このサイズのパックは320グラムから360グラムなので400グラムはないですよ。一番多いものでどうですか?」
老婆は目はよく見えないわりには、答えははっきりしていた。
「娘は昼間仕事に行ってて、今夜はハンバーグを作るって言ってて。400グラムって」
夫は「360でも400でもええやん…」と思いつつ、娘さんのお願いを忠実に叶えようとする誠実な人柄にほだされ、付き合うことにした。
「ハンバーグだったら、そもそも何のひき肉を頼まれたの?おばあさんが持っているのは牛豚の合いびきだけど、それでいいの?」
老婆の回答は予想外だけど、はっきりしていた。
「鶏が混じっているやつって」
400グラム、鶏混じりのひき肉――。
目は見えないって言っているのに、考えははっきりしてい揺るぎない。夫は、娘さんに「お母さん、絶対に間違えないでね」とでも言われているのだろうかと想像しつつ、ひき肉コーナーを一覧し、答えた。
「おばあさん、ここの鶏ひき肉は合い挽きじゃあないよ。鶏単独だよ。牛豚ではだめなの?」
老婆の回答はまたも予想外だった。だが、「揺るぎない」と感じていた内容は若干ブレたようだった。
「牛豚なんかなあ」
夫は「鶏なのか牛豚なのか、確固たるものがないのだったら、必要なグラムも怪しくなるやんけ…」と首をかしげ、「もう牛豚に誘導した方が、おばあさんにもメリットがるのではないか」と思い始めていた。
「いや、娘さんがどんなひき肉を必要としているかは分からないけれど、ハンバーグなら自分だったら牛豚の合いびきを使うよって話。それに娘さんは『混じっている』って言っているのなら、牛豚の方が一般的ではないかなと」
「じゃあ、そっちの小さいパックも買ったら400グラムになる?」
回答はまたも予想外。それも聡明。そして忠実。夫は「足し算までするのか…」と感心し、パックを選び始めた。
「二つの合計でいいんだったら、400グラムにできますよ。326グラムと80グラムで406グラム。パックのグラム数をぱっと見た限りだけど、この組み合わせが最も400グラムに近いよ。これでいい?」
夫はパックを二つ老婆に手渡した。
「ああうあ、これで400グラムになっているんですかいのお。でも、鶏…」
夫は「え、牛豚にするんじゃなかったの?」とため息が出そうになり、老婆の言葉をさえぎってしまった。
「400グラムなっているよ。僕も家族が寝込んでいて時間がないから、もう行くよ。ごめんね」
夫は二つのパックで「150グラム」の牛豚ひき肉を手に入れ、肉売り場を後にした。老婆のアイデアを借用である。
夫は牛乳売り場に向かいながら、「人助けは難しい」とため息をついた。