【私小説】シュレーディンガーの宿(後編)【ベルリン旅行記】

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「コネリーは杖をついていたかなあ。僕はインフォメーションでの経緯を説明し、住所の紙も地図も見せるわね。そしたら、部屋に入れてくれてね」

 

今夜の宿に一歩近づいた夫。

 

その後の展開は、夫が形容した通り、「信じられない話」だった。

 

コネリー風は裕福なのか、研究職なのか、壁という壁に本棚。床から天井まで本棚。本棚には本でびっしりだった。

 

部屋にはペアのロッキングチェアーとテーブルがあり、コネリー風は夫に座るよう促した。

 

コネリー風はいったん部屋から出た。赤ワインと上等そうなワイングラスを二つ持って戻ってきた。

 

「コネリーは、ワイングラスをテーブルに置くと、注ぎ始めてね。僕は今も昔も赤ワインは好きだから、悪い気はしないじゃない?でも、子どもの頃に言い聞かされていた『知らない人にものをもらったら云々』にも反するし、現実問題として何が入っているか分からないし。そもそも、夜の観劇のために早く宿を押さえないといけないし。とかいいつつ、コネリーがすすめてくれると、やっぱり飲んじゃってさあ」

 

「飲んだんかい!」と思わず突っ込んでしまった私の口はワインのボトルネックのように突き出ていたと思う。

 

「で、宿の話はどうなったの?」と尋ねると、夫は「それがよく分からなくてさあ」。

 

まさかの答えだ。

 

「どこから来たんだ、とか、ベルリンに来る前にはどこを旅行していたんだ、とか、大学生なら何を勉強しているんだ、とか、いろいろ聞かれて、うん、会話をしたのだよ。もちろんドイツ語で。オリバーの時と同じで、なかなか聞き取れなかった気がするんだけど、宿の話が出てきた気がしなかったんだ。でも自分のドイツ語に自信はないからね。まあ、とにかく、オリバーの家では泊まっていないんだ」

 

「え、それなら、あんた、ただ酒飲んだだけじゃん!」。私はまたも突っ込んでしまった。と、同時に、夫がその日どこに泊まり、観劇に行けたのか、気になり始める自分がいた。

 

「コネリーの家にはどれくらい居たかなあ。たしか、ワインをお代わりしてしまったから、20分か30分ぐらいは会話していたのかなあ。まあ、そのぐらいの間、ロッキングチェアーに座っていると、『さては、ここでは泊まれないんじゃないか』と気付くじゃない。それくらいはドイツ語がさほどできなくても分かる」

 

「このままでは観劇に間に合わない」と悟った夫は、とにかく丁重いお礼を言い、コネリーの家を出た。

 

急いで駅のインフォメーションに戻り、オリバー風と再会。コネリー風宅での顛末と今夜の宿がないことを伝え、1万円超のホテルの予約を押さえてもらった。もちろん、ユースホステルのキャンセルがなかったことも確認した上で、だ。

 

「以上が、僕の信じられないような話さ。突然訪ねた外国人の家でワインをお代わりしたのはいい経験だったけど、もう少しドイツ語を勉強していたら、というのは反省点だよね」

 

たしかに、信じられないような話だった。しかし、ずっと気になることがある。

 

「その『宿」は存在したの? あるいは、その反省点とやらにも関わってくると思うのだけど、コネリーの家は本当に宿だったのに、あなたのドイツ語が怪しすぎたから、泊まれなかった可能性はないの?」と聞くしかなかった。

 

「20年も経っているのにあなたに話しちゃったのは、そこを引きずっているからなんだろうねえ。でも、『宿』が存在しているからこそ、オリバーは住所を紙に書いてくれたんだろうし、オリバーからの紹介に一理あるからこそ、コネリーは家に入れてくれたわけだよね。しかし、『宿』の話は出てこなかった。例えば、宿の話があるのだとすれば、ワインの前に、そうだな、料金表やパンフレットの類が出てくるはずなんだよね。出てこないということは、『宿』はなかったことになる。となると、オリバーの紹介はなんだったんだ、ってことになる。あー、パラドックスだ。20年経っても堂々巡りだ。あの夜、観劇しながら考えてたことを反芻しちゃったよ」

 

夫の堂々巡りはあと20年経っても終わりそうにない。

 

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