【子どもとプチ哲学】残暑と意思不疎通【私小説】

イカーの温度計は「32度」になっていた。

 

習い事を終えたムスメを迎えに行くと、気温が32度になっていたのだ。

 

送り届けた時は「25度」だった。

 

「今朝はずいぶん涼しいね」「やっと秋らしくなったね」

 

だなんて、運転席と後部席で話していたのに。

 

1時間で7度も上がるなんて。

 

後部席に入ったばかりのムスメに告げると、「えー!1時間で?」と目をむいた。

 

ムスメは「やっぱり温暖化のせい?」と続けたので、車内はただ暑いだけの雰囲気ではなくなった。

 

そう、「サイエンス」の明かりが灯ったのだ。

 

気をよくした妻は「うーん、これは温暖化のせいではないんじゃないかな。秋は,一日の中で最高気温も最低気温の差が大きいから、そのせいではないかな」と説明した。

 

「へー、おもんな!」。

 

ムスメの返しに車内が凍りついた。

 

車内といっても、存在しているのは二人だけ。

 

つまり、凍りついたのは、妻の背筋なり、妻の感覚なりであって、「雰囲気」ではないのだ。

 

「凍りつく」。この言い回しはなんて主観的なんだと独りごちつつ、聞いてみた。

 

さきほど君が言い放った「おもんな!」は、何を指し示しているのかい、と。

 

ムスメの答えは「もう10月になるというのに涼しくならないこと」だった。

 

車内は再び凍りついた。

 

いや、これは主観的なものであって、「凍りついた」のは、妻の「背筋」であり、「感覚」にすぎない。

 

現状認識を是正した妻は「『主観』という概念を突き詰めた哲学者って誰だっけ? そういえば、知ったかぶりの夫が結婚前に、知ったようなことをかましていたな」と振り返りつつ、ムスメに重要な指摘をした。

 

「あなたね、さっきの流れで『おもんな』って言っちゃうと、それはママの説明が『おもんない』ってことになるのよ? ママは、あなたがまだ小さいのに、『1時間で気温が7度も上がるのはなぜなんだろう』と考え、自分なりに『温暖化』と答えを出したのがうれしかったの。だから、秋の気温のことを話そうと思ったわけ。そのうち学校で『日較差』って習うんだから。その、ママの説明を『おもんな』と評価したことになるんだよ。これは残酷なことだよ、ママは『サイエンス』の話をしているんだから」

 

妻は、ムスコの反応を待つまでもなく、「おもんな」「知ったかぶり」「残酷」、これらの言葉すべてが主観的にすぎないんだよな、と独りごち、ムスメの反応を待った。

 

ハンドルを操作しながら、「サイエンス」を、つまり「客観」という概念を、教えるのは難しいもんだな、とあらためて実感していると、家に着いた。

 

サイドブレーキを上げると、ムスメが声を張り上げた。

 

「ねえ、きょうの夜ごはんはなに?」

 

妻は返す刀で言い返した。

 

「昼ごはんが先やろ!」